ハイ!OKKAです。
ハイボールを作るのに欠かせないのは、何と言っても「炭酸水」!
今ではスーパーやコンビニで普通に売ってますが、OKKAが子どもの時代には、コーラやサイダーはあっても、「炭酸水」がそのまま売ってるという光景はほとんど見たことがありませんでした。
今ではハイボールだけでなく、現代人の生活にも欠かせなくなった炭酸水。
なぜこれほどまでに広がり、飲まれるようになったのか。
今回は「炭酸水の歴史」を紐解いていきたいと思います!
1.始まりは紀元前
今売られている炭酸水のほとんどは人工的に作ったものですが、「天然の炭酸水」はずっと昔からありました。
温泉でも「炭酸泉」ってけっこう日本中にありますよね。
なぜ温泉に炭酸ガスが含まれているかというと、元々火山ガスの中にあった二酸化炭素が地中に留まり、それが地下水に溶けたからだということです。
もちろん、日本だけでなく、世界中に「炭酸が含まれた水が湧き出る場所」があり、主に「療養のために浸かる」という形で利用されていました。
紀元前1200年には、トロイア戦争におけるギリシア軍の総大将アガメムノンが、傷ついた兵士を鉱泉で治療した、と伝えられています。
最初に炭酸水を「飲料」として使ったのは古代ローマ人。
でも、嗜好品としてではなく、やはり「薬」として使用していたそうです。
また、紀元前1世紀ごろには、「クレオパトラがぶどう酒に真珠を溶かして飲んだ」という記録があります。…何という贅沢!さすがクレオパトラですね!
ぶどう酒に真珠を入れると、真珠の主成分である炭酸カルシウムが酸に溶け、炭酸ガスが発生し、現在の「スパークリングワイン」みたいになるそうです。
薬ではなく、嗜好品として炭酸を飲んだのは、クレオパトラが最初かもしれませんね。
ちなみに、日本で「炭酸水を飲んだ」とされる最初の記録は、「日本書紀」にあります。
694年、持統天皇の時代に、近江国益須郡(滋賀県守山)の都賀山で湧き出している「醴泉(れいせん)」を飲んだ多くの人の病が治ったそうです。
やはり日本でも炭酸水は「薬」として使われていたことがわかりますね。
2.人工的に「炭酸水」を作る
そんな炭酸水が人工的に作られるようになったのは1700年代に入ってから。
最初に作ったとされているのは、フランスの化学者、ガブリエル・ヴァネル。
1750年に、酸性の水(レモン水のようなもの)に、重曹を混ぜて、炭酸水を作りました。もちろん医療用です。
酸性の水ではなく、「真水」に二酸化炭素を溶かして「炭酸水」を作ったのは、スウェーデンの化学者、トルビョルン・ベリマンです。
1772年、石灰と硫酸で炭酸ガスを発生させて、真水に溶かすことで、炭酸水を作りました。
この方法は、炭酸水を作る方法として、かなり長い間使われることになります。
そして、最初に「炭酸水の工業製品化」に成功したのは、スイスのアマチュア科学者だったジェイコブ・シュウェップ。
この名前、聞いたことありませんか?
そう、今も炭酸飲料で有名な「シュウェップス」の創設者なんです!「シュウェップス」は世界初の炭酸飲料メーカーとして、1783年に誕生しました。
彼のすごいところは、医療用だけでなく、「一般の飲料用」としても炭酸水を売り出したところ。
「炭酸水をお酒の割り材として使う」ことも、このころから少しずつ行われるようになっていったそうです。
3.「割り材」としての炭酸水
こうして炭酸水は一般に広まることになり、食事の時に炭酸入りのミネラルウォーターが飲まれることも多くなっていったわけですが、やはり一番好まれたのは、「果汁や砂糖の入った甘い炭酸飲料」でした。
1800年代の前半から、アメリカやヨーロッパでは、「その場で炭酸飲料を作って客に提供する店」として、「ソーダファウンテン」がどんどんできていきます。
ここで提供されるのは、主にフレーバーをつけた、ノンアルコールの甘い炭酸飲料。一時はバーよりも数が多かったとされています。
シュウェップスなどによって、炭酸飲料は作られていたものの、その容器に難があり、運搬途中でこぼれたり割れたりすることが多かったため、こうした店がたくさん作られたんですね。
それと同時に、「お酒を炭酸水で割る」という文化も少しずつ広がっていきました。
1700年代の終わりごろには、ジンをトニックウォーター(炭酸水に香草・果皮。糖分などを配合したもの)で割った「ジントニック」が、主に医療用として飲まれていたそうですし、1800年代前半には、白ワインを炭酸水で割った「スプリッツアー」や、ブランデーをソーダで割った「ブランデーソーダ」が好まれたそうです。
そして、ついにウイスキーを炭酸水で割った「ハイボール」が登場することになります。
ハイボール誕生の由来については、こちらの記事を見てくださいね。
4.日本で広まる炭酸水
では、日本では炭酸水はどのように広まっていったのか。
日本でも、「薬として天然の炭酸水を飲む」ということは、炭酸泉のある場所で行われていたようですが、初めて海外から「炭酸飲料」が伝わったのは、ペリー来航の時だと言われています。
浦賀に来た時のペリーの船には、飲料水の一部としてレモネード(ラムネの原型)が積まれていました。
幕府の役人がこれを飲み、日本における炭酸飲料を飲んだ人第1号となったということが、「開栓時の音に驚き、『さては新式銃か!』と腰の刀に手をかけた」というエピソードとして伝えられています。
その後、国産第1号の「ラムネ」が作られたのが1865年。作ったのは長崎の商人、藤瀬半兵衛だと言われています。
1868年には、イギリス人のジョン・ノースとレー・Wが横浜に炭酸飲料の工場を建設し、上流階級向けに炭酸飲料の販売を始めました。
その後も、兵庫県多田村で湧き出た天然炭酸水が瓶詰めして販売されるなど、日本でも飲料用の炭酸水が少しずつ広まっていきます。
しかし、何と言っても、日本で「炭酸水」を大きく広めたのは、イギリスのジョン・クリフォード・ウィルキンソン!
そう、あの「ウィルキンソン タンサン」の生みの親です!
作ったのはイギリス人ですが、ウィルキンソンは「日本生まれ・日本育ち」の会社なんですね。
日本人の妻と結婚し、日本で事業を起こそうと考えていたウィルキンソンは、兵庫県宝塚市で狩猟の途中に炭酸鉱泉を発見。これが良質な天然炭酸水だということで、資材や設備をイギリス本国から日本に運び、この炭酸水の瓶詰の生産に取りかかりました。
そして、1890年に「TAKARADZUKA MINERAL WATER (宝塚ミネラルウォーター) 」を発売します。
3年後の1893年には、この商品を「タンサン」と改名、さらに1904年には、他社の炭酸水と区別するため、「ウヰルキンソン タンサン」という名前に変更します。
しかし、日本人には「炭酸水をそのまま飲む」というスタイルはなかなか広まらず、「ウヰルキンソン タンサン」は主に輸出用とバーなどの飲食店に向けて売られるようになります。
風向きが一気に変わったのは、2011年にペットボトルの「ウィルキンソン タンサン」が販売されてから。
当時(今も続く)の健康ブームにうまく乗り、「ゼロカロリーで健康にもいい」ということで、爆発的にヒットします。
さらに、2010年ごろから本格的になったハイボールブームにも乗っかり、家飲みの割り材としても使われるようになりました。
グラフを見ても、その売れ行きのすごさがわかりますね。
これに、他の飲料メーカーも追随。今に至るというわけです。
今ではどこのコンビニやスーパーでも売られている炭酸水。でも、ここまで広まるには長い歴史があったんですね。
特に、ウィルキンソン氏がいなければ、日本のハイボールブームも来なかったのかも…。
炭酸水に関わってきたすべての人たちに感謝して、今日も美味いハイボールを飲みましょう♪
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