ウイスキーは偶然生まれた?ウイスキー誕生の秘密!

知識・雑学

ハイ!OKKAです!
それにしてもウイスキーって美味しいですよね。特に香りがたまりません。
バニラや蜂蜜のような甘い香り、リンゴやブドウのようなフルーティーな香り。
それに余韻に残る、ウッディな渋味もまたいいものです。

こうした香りや渋味は、何年にもわたる「樽熟成」から生まれます。
スコットランドの法律では、ウイスキーとして販売する場合、最低でも3年間の樽熟成が必要とされています。

でも、この樽熟成、考えてみればすごいアイデアだと思いませんか?蒸留酒を、他の酒の空き樽につめて熟成させるなんて、どうやって思いついたのでしょう?

今回はそんな「ウイスキー誕生の秘密」について紹介していきたいと思います!

「蒸留酒」の起源

もともと、ウイスキーのような蒸留酒(穀物を発酵させ、蒸溜して作られる、アルコール度数の高い酒)は、技術的には約6000年前のメソポタミア文明の頃から行われていたそうです。
メソポタミアの北部、テペ・ガウラ遺跡で、簡易的な蒸留器が出土しています。
この時は、「飲み物」ではなく、「香料」を作るために蒸溜していたということです。

「蒸留酒」ができるのは、約1300年前のエジプト。ここではナツメヤシを原料とした蒸留酒が作られていたそうです。

この技術が中東に渡り、さらに11世紀ごろヨーロッパに渡って、当時の錬金術師の手によって、現在の「ウイスキー」の元になる蒸留酒が作られるようになりました。

中東で使われていた蒸留器 
蒸留の奥深さ | 高橋医院 (hatchobori.jp)より引用

しかし、この「ウイスキー」の起源については2つの説があり、どちらが本当なのか、未だに決着がついていないんですよね…。

ウイスキーの起源は「アイルランド」か「スコットランド」か

ウイスキーの起源については、「アイルランド説」と「スコットランド説」の2つがあります。

アイルランド説

1171年、イギリス国王ヘンリー2世がアイルランドに攻め入った際の記録に、住民が「ウスケボー(またはウスクバッハ)」と呼ぶ、蒸溜酒を飲んでいたという記載があったとされています。この「ウスケボー」が訛って、「ウイスキー」なったという説です。

また、12世紀ごろ、スペインの錬金術師アルノーという人物が、ワインを蒸溜し、このときに生まれた酒を「アクアヴィテ(ラテン語で“生命の水”という意味)」と呼んだとされています。
この「アクアヴィテ」がゲール語の「ウシュク・ベーハー(生命の水)」に訳され、「ウシュク・ベーハー」→「ウイスキー」となったという説もあります。

ゲール語を使う「ゲール族」とは、ヨーロッパ中西部に起った古代民族ケルト族のうち、海を渡ってアイルランドへ移住した部族なので、この説でも「アイルランドが起源」となるわけです。

どちらの説でも「ウイスキーの起源は12世紀のアイルランド」となるわけですが、惜しいのは現在、これらの文献が残っていないんですね…。

スコットランド説

一方、スコットランドの記録では、1494年のスコットランド王室出納簿に「修道士ジョン・コーに8ボル(約500kg)の麦芽を与え、アクアヴィテを造らせた」という記載があります。

こちらの文献はちゃんと残っており、これが、現状「ウイスキーに関する最古の文献」とされています。原本はエディンバラの中央登記所に保管されていて、閲覧できるようになっています。

1494年のスコットランド王室出納簿
食の達人コラム|ラーメン・酒・穴場|NIKKEI STYLEより引用

結局、どちらなのかという論争は未だに続いていて、決着はついていないのですが、一般的には「アイルランド説」が有力だとされています。

しかし、個人的には、「これ、どっちも『ウイスキー』じゃないよなあ」というのがOKKAの感想。
やはり、ウイスキーは「樽熟成」があってこそ!ですからね。

「樽熟成」は偶然から始まった

ウイスキーの元になった蒸留酒は、始めは「お酒」ではなく「薬」として造られていたそうです。(だから修道士が作ってたんですね。)
17世ごろまでは、「樽に入れる」ということはされず、無色透明でした。

では、なぜ現在のウイスキーは琥珀色をしているのでしょうか?
それは、「ウイスキーの密造」と関係があります。

1536年、ヘンリー8世による宗教改革が行われ、修道院が解散になります。
それで、行き場をなくした修道士たちは生活費を稼ぐため、それまでは修道士だけが造っていたウイスキーの製造法を人々に教えるようになりました。
これにより、ウイスキーは「薬」としてではなく、「お酒」として農民や一般市民にも広がります。

1707年、スコットランドはイングランドに併合され、グレートブリテン王国(イギリスの前身)ができました。
戦争続きで財政が厳しかった国は、1725年、ウイスキーやビールの原料となる麦芽に重税を課します。当時、併合された側のスコットランド人は、当然この法律に大反発をします。
「そんな高い税金なんか払えるか!」ということで、ハイランド地方の山中でウイスキーの密造を始めたんですね。

こうしたスコットランド人は、密造がばれないようにシェリー酒の空き樽に、造りたてのウイスキーを入れて保存しました。
しかし、しばらく経ったあと樽から出したウイスキーは、琥珀色になっており、味はまろやかで香りも豊かになっていたという奇跡が起こったんです!

この出来事がウイスキーの熟成という考えを生み、現在のウイスキーにつながります。
このように「樽熟成」はもともと「密造したウイスキーを隠す」という「偶然」がきっかけで始まったんですね。

この密造酒時代は100年近くも続き、合法的な透明のウィスキーよりも密造された琥珀色のウィスキーの方が美味しい、という事態になったのです。

1823年、ウイスキーに対する高額な酒税が改正され、やっと税率が下がりました。そして、ウイスキー製造は政府公認の免許制になりました。

これには、こんなエピソードがあります。
当時の国王ジョージ4世はお酒が大好きで、なんと国王にもかかわらず「密造ウイスキー」を常飲していたそうです。
特に、その密造業者の中でも、グレンリベット蒸溜所のウイスキーを絶賛したため、今では「モルトウィスキーの代名詞」と言われる「グレンリベット」が初めて免許を取得し、政府公認第一号の蒸溜所になったということです。

グレンリベット蒸溜所
グレンリベット蒸留所 – Wikipediaより引用


ここから密造酒はどんどん減っていき、スコットランドでは「樽熟成されたウイスキー」が盛んに作られるようになったのです。

こんな歴史があって、今の私たちは、「樽熟成された芳醇なウイスキー」を飲めるというわけなんです。

英国の「ウイスキーに対する重税」という圧政がなければ、「樽熟成」が行われなかったかもしれないというのは何とも面白いですね!

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